「死ね!死ね!シネマ」を作って

(2011年07月03日付 twitterより再掲)

「死ね!死ね!シネマ」は、もともと映画美学校の授業の枠でつくることになった映画です。リハーサル1日、撮影1日。2日間で1本の短編をとると。で、予算は1万円(笑)。結局僕だけ2日間で30分も撮ってしまい、その後もひと月に数日ずつ追加撮影を繰り返し…(つづく)

気がつけば、クランクインから5ケ月以上たってのクランクアップ。本当に多くの人を巻き込み、迷惑をかけてきました(いや、今も現在進行形で迷惑かけまくっています)。だからこそ、完成度うんぬんではなく、ちゃんとした「映画」にしたい。その思いだけでやってきました。(つづく)

自主映画で撮った「おかえり」が結果として自分の商業映画のデビュー作になり、その次の「忘れられぬ人々」から実に10年ぶりの、自分自身の企画・脚本による長編映画になりました…。この10年、何度も自分は映画監督になって向いていないという思いがぬぐい切れず…(つづく)

首の皮1枚で辛うじて、映画から離れずに済んだのは、映画を作ることで出会った友人たちのおかげです。自分の撮った映画は子供と一緒で、他人にどれだけ批評されようが、1本1本とても大切なもので。毎回反省するのですが、作ったことを後悔するような映画は1本もありません。そこが(つづく)

「死ね!死ね!シネマ」の登場人物シマザキと僕の違いです。この映画は、自虐的なギャグ映画でもパロディでもありません。年間何100本も観る映画好きだけに、映画を作る権利があるわけではない。それまで映画になんの興味もなかった中学や高校の同級生たちを、映画作りに巻き込み(つづく)

自主映画を撮り続けてきました。ラッシュを一緒に観ていた友人たちが本当の嬉しそうに笑ったり、「あ、この雲の形いいね!」「この光も凄いよ」と興奮気味に突然話はじめる瞬間のことをはっきり覚えています。「映画は誰のものでもない」という言葉は(つづく)

亡くなった友人の青木富夫さん(突貫小僧の名で俳優デビュー)がよく言っていた言葉を別の言い方に変えたものです。「いいかい、篠崎さん? 映画ってのはさ、俳優のものじゃない。監督のものでもない。みんなのものだよ」。はたして、「死ね!死ね!シネマ」はちゃんとみんなのものになっただろうか。

篠崎誠

twitterの古い投稿が消えそうですので、再掲しました。